「私の青空」 投稿者:tomo 投稿日:2005/09/17(Sat) 13:52 No.2707 | |
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渡さんの自伝的著書「バーボン・ストリート・ブルース」を読んでいて、「ドキッ」とした箇所がある。
「今はステージの上で好き勝手はことをしゃべってはいるが、僕は小さいころから吃音がかなりきつかった。頭の中に言葉はあるのに、それがスッと出てこないのである。今でもなにかの拍子にちょっと言葉がひっかかることはあるが、子供のころは相当ひどかった。それがだんだん治っていったのは、歌を歌うようになってからである。気がつくと、いつの間にかどもらなくなっている自分がいた。」
なぜ、私が「ドキッ」としたのか?もう、すっかり忘れてしまっていたが、子供の頃、私も吃音者だったからである。吃音者であるということは、「言えなかった言葉に取り囲まれて生きる。」そういうことだ。
風 作詞:朝倉勇
ほんとのことが 言えたらな 目が見たことが 言えたらな 思ったことを便りに書けたらな 頭の上を吹く風よ
吃音者は、本来自分の言いたい言葉をそのまま言えずに、別の言いやすい言葉に置き換えて、話さなければならない。それは、常に自分が自分自身を裏切る事だ。そこに存在する孤独は、他人と結びつかない孤独ではない。自分自身から隔絶される孤独だ。そこでは、他者は存在しない。誰とも結びつかない自意識だけが膨れ上がり、どこに行っても、どこにも行けないのである。そんな「どこにも行けない悲しさ」を、私は渡さんの歌の中に感じていた。
石 作詞:山之口貘
季節 季節 が素通りする まるで生きすぎるんだというかの様に いつみても ここに居るのは僕なのか
しかし、渡さんには音楽があった。言えなかった言葉を詩人達の詩に結びつけた渡さんは、それを音楽に乗せて歌い始めた。 音楽は魔法のようだ。言葉が誰かに伝わる事で、心が開放されてゆく。浮浪者の嘆きのような詩が、希望のようなものに変化してゆく。
生活の柄 作詞:山之口貘
歩き疲れては、夜空と陸との 隙間にもぐり込んで 草に埋もれて寝たのです ところかまわず寝たのです
今まで、感じることができなかった青空が「私の青空」に変化してゆく。
私の青空 作詞:堀内敬三
夕暮れに あおぎ見る 輝く 青空 日が暮れて たどるは 我が家の 細道 狭いながらも 楽しい我が家 愛の日影のさすところ 恋しい家こそ 私の青空
渡さんの長い音楽活動は、誰とも結びつかなかった強い自意識が詩人達の言葉を選び、音楽によって誰かと結びついてゆく、開放されてゆく、そんな旅ではなかったのか?「タカダワタル的」の「私の青空」のやわらかさ、やさしさ、あたたかさはどうだろう?そんな渡さんの長い旅の到達点と言えないだろうか?
もう一度書きたい。
音楽は魔法のようだ。 |
| バーボン・ストリート・ブルース 月の音 - 2005/09/17(Sat) 17:34 No.2708 | |
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この夏が始まる前に図書館で田川律の名前をみつけ 田川さんの本があるなら渡さんのも・・・と探したらすぐ見つかりました。吃音 え?と 私もひっかかったのは 父が昔やはり吃音だったとなにかの折りにかたっていたこと思い出したからです ま、個人的感傷はさておき「 渡翁 」を音楽的側面からみるか 活字的側面からみるかその立脚するところによってちがうでしょうが どれかでもどっちかでもない どこからみてもきいても その人そのものだった すごいこと すごい人でしたね だから映画にもなっちゃったのでしょう 今日は17日 昨日は16日・・・ |
| Re: 「私の青空」 若輩もの - 2005/09/17(Sat) 22:28 No.2714 | |
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もう手に入らないだろうと諦めていた今年6月、ジュンク堂さんが見つけてくれて、踊るような思いで手にした「バーボン・ストリート・ブルース」。僕の一番の宝物です(ここまでは超私的な余談です、すいません)。
僕は2度読みましたが「吃音」というところになんの引っかかりも感じておらず、tomoさんの書き込みを読んで、「ああ」と初めて心に留まるものがありました。 吃音は、原因はまだよく分かっていないそうですが、心理的要因によるものが大きいと言われていますね。特に、幼少期の。 渡さんは幼少期、母親をほとんど知らず、引越しに引越しを重ねて過ごしておられます。その当時の様子なども「バーボン・ストリート・ブルース」に書かれていましたよね。ユーモアを交えながら淡々と綴られており、楽しく読ませていただいたのですが・・。ひどい吃音があったことを考えると、幼い渡さんは、実はずいぶんと無理をしていたのかも知れません。おそらく、本人も気づいていないようなところで・・。
でも、唄うことで吃音がなくなっていったということは、やはり唄うことを通して、それまで得られなかった何かを得、満たされていったのでしょうね。
初めの頃の声と後年の声を聴き比べてみると(もちろん年を経たからという要因も大きいでしょうが)、初期は少し頼りないような、優し過ぎるような声でしたが(それはそれで良かったのですが)、いつしか真の通った、強い声に変わってきているように思えます。
もう一度読み直してみようという気持ちになりました「バーボン・ストリート・ブルース」。 |
| 「私の青空」の追記 tomo - 2005/09/18(Sun) 00:25 No.2716 | |
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月の音さん、若輩者さん、「私の青空」への返信ありがとうございます。 内容が暗いので、誰からも返信が来ないと思ってました(笑)。 もし、返信があるとしても 「あなたの投稿は渡さんをある一面からしか捕らえていない。それだけで、渡さんの作品を語り尽くせると思ったら、大間違いだ。」 ‥みたいな批判的な投稿がくる可能性があるな、そんな風に考えていました。
渡さんの作品群は驚くほどの多様性に富み、個々の作品はあまりに奥が深く、簡単に語り尽くせるものではありません。 そんな渡さんの「宝の山」のような作品の数々を、「吃音からの開放」という視点からのみ語る事は誤りです。‥っていうか、無茶ですよね(笑)。 ただ、今回の「私の青空」については、私の個人的体験と重なる部分があったため、どうしても投稿したくなってしまいました。 内容が重く、かつ、一面的なため不快に思った方がいらっしゃるかもしれません。どうかお許しください。‥っていうか、どうか無視してください(笑)。 |
| 配慮 月の音 - 2005/09/18(Sun) 07:47 No.2718 | |
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吃音のこと 差別用語になるからでしょうか ここは 配慮があったなと わたしは読んだとき そう感じたのです ○○○と 揶揄されますよね こどもの残酷さではやしたてるかっこうの材料でしょう 感受性を圧殺されてはいけません 感性を麻痺させてもいけません(とても困難なことですが) 若輩ものさんが書き込まれているので これ以上は重ねませんが・・ 今宵満月 3つの杯を用意しましょうか お月さまがメインですが 空の上の渡さんにも 献杯 月の明るさがつくるのも また 影 光が陰影を つくること たまに夜の明るさ みつめるのもいいもの 闇だけではない夜を |
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