西暦 |
元号 |
高田渡 年表 |
年齢 |
1949 |
昭和24 |
一月一日に岐阜に生まれる。四人兄弟の末っ子。父親の高田豊は詩人、元出版社勤務。 |
0歳 |
1962 |
昭和37 |
八歳の時に母親を亡くし、東京・深川に移り住む。十三歳で三鷹に引っ越し、この頃から兄弟の影響で音楽を聴き始め、米国のフォークシンガー、ウディ・ガスリーやピート・シーガーに興味を持つ。 |
13歳 |
1964 |
昭和39 |
中学卒業後、印刷会社で働く。仕事先でバンドに誘われ、ウクレレを買い改造して壊してしまう。念願のギターを買ったのは十七歳のとき。 |
15歳 |
1967 |
昭和42 |
父親を亡くし佐賀の親戚のもとに預けられるが、すぐに単身上京。新宿・若松町に住みアルバイトをしながら夜間学校へ通う。この頃、詩人・山之口貘の詩と出会う。 |
18歳 |
1968 |
昭和43 |
TBSの番組で「自衛隊に入ろう」を唄って注目を集める。また、第三回フォークキャンプ(関西)に遠藤賢司や六文銭、南正人らと参加し、観客に衝撃を与える。 |
19歳 |
1969 |
昭和44 |
高石友也の主催する高石事務所の所属となり、京都に引っ越す。レコードデビューは「五つの赤い風船」とのカップリングアルバム。二枚目のアルバムを出し、事務所を辞める。
高田渡の仕事
『高田渡/五つの赤い風船』アルバムリリース
『三億円事件の唄』シングルリリース
『電車問題/転身』シングルリリース
『自衛隊に入ろう』シングルリリース
『汽車が田舎を通るそのとき』アルバムリリース
詩集「個人的理由」自費出版
『高田渡/五つの赤い風船』
『汽車が田舎を通るそのとき』
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20歳 |
1970 |
昭和45 |
第二回全日本フォーク・ジャンボリー(中津川)に出演。キングレコードのディレクターからレコードを出さないかと持ちかけられる。 |
21歳 |
1971 |
昭和46 |
京都から東京・武蔵野に再び上京。キングレコードに所属し、吉祥寺の音楽仲間と「武蔵野タンポポ団」を結成。第三回フォーク・ジャンボリー(中津川)に出演する。
高田渡の仕事
『ごあいさつ』アルバムリリース
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22歳 |
1972 |
昭和47 |
高田渡主演のドキュメンタリー映画「吉祥寺発赤い電車」が製作され、全国各地で自主上映される。その後、映画製作団体の活動休止に伴い、この映画は二〇〇七年まで所在不明となる。
高田渡の仕事
『系図』アルバムリリース
『武蔵野タンポポ団の伝説』アルバムリリース
『系図』
『武蔵野タンポポ団の伝説』
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23歳 |
1973 |
昭和48 |
ドイツのフランクフルトを旅行中、アメリカのブルースシンガーのライブを初めて生で聞き、語りを曲の間に織り交ぜたスタイルに影響を受ける。
高田渡の仕事
『石』アルバムリリース
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24歳 |
1975 |
昭和50 |
アルバム収録のためロサンゼルスへ行く。同行者はベーシストの細野晴臣、ギタリストの中川イサトの二人。メモを片手に三人で「さてどうしよう」と始まった収録は、現地のミュージシャンや、スタジオミキサーらの思わぬ参加で完成を見る。
高田渡の仕事
『もうひとつの伝説』(武蔵野タンポポ団)アルバムリリース
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26歳 |
1976 |
昭和51 |
帰国後、マルチプレイヤーの佐久間順平、テナーバンジョーの小林清、ベースの大庭昌浩の四人でツアーすることが増え、楽器を両脇に抱えながら日本中を旅する。
高田渡の仕事
『FISHIN' ON SUNDAY』アルバムリリース
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27歳 |
1977 |
昭和52 |
佐久間順平らと組んでいたバンドの名前を、偶然泊まったお茶の水のホテルの名前からとって「ヒルトップ・ストリングス・バンド」と命名。その後、バンドやソロで日本中をツアーする。
高田渡の仕事
『ヴァーボン・ストリート・ブルース』アルバムリリース
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28歳 |
1983 |
昭和58 |
八〇年代で出した唯一のアルバムは息子・漣と一緒に唄った「おじいさんの古時計」がきっかけとなる。
高田渡の仕事
『ねこのねごと』アルバムリリース
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34歳 |
1986 |
昭和61 |
ヨーロッパを約四〇日ほど旅行する。 |
37歳 |
1989 |
平成1 |
第四回全日本フォーク・ジャンボリーに出演。アンジー、有頂天、ラフィンノーズといったミュージシャンらと共演。若い観客たちに衝撃を与えた。唯一、高田渡だけにアンコールを求める。 |
40歳 |
1991 |
平成3 |
大西功一監督の映画「吉祥寺夢影」に出演。
高田渡の仕事
映画「吉祥寺夢影」に出演 |
42歳 |
1993 |
平成5 |
「ホントはみんな」という唄ウタがハウスシチューのCMで使われ、お礼として一年分のシチューの素が送られてくる。「具も一緒に送って欲しかった」とライブでの笑い話となる。
高田渡の仕事
『渡』アルバムリリース
ハウスシチューCM曲を担当
『渡』
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44歳 |
1997 |
平成9 |
市川準監督の映画「東京夜曲」で主題歌「さびしいと いま」を唄い、シングル盤も約三〇年振りに発売される。
高田渡の仕事
『さびしいと いま』
『さびしいと いま』シングルリリース
映画「とどかずの町で Northern Song」出演
映画「東京夜曲」主題歌を担当
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48歳 |
1998 |
平成10 |
井上陽水の紹介で「笑っていいとも!」にゲストとして呼ばれる。
高田渡の仕事
『よろん小唄ラッパ節』シングルリリース
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49歳 |
1999 |
平成11 |
アルバム『貘』を監修し、ミュージシャンとしても参加。「やっと山之口貘さんに逢えた様な気がしています。(ライナーノーツ)」
高田渡の仕事
『貘』アルバムリリース
『Best Live』アルバムリリース
映画「海賊版=BOOTLEG FILM」音楽・主題歌を担当
『貘』
『Best Live』
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50歳 |
2001 |
平成13 |
大晦日、下北沢「ザ・スズナリ」で劇団東京乾電池主催の高田渡コンサートが行われた。ゲストは泉谷しげる。その時の記録が本作「タカダワタル的ゼロ」の核となる。
高田渡の仕事
『日本に来た外国詩…。』アルバムリリース
著書「バーボン・ストリート・ブルース」
キンチョーCM出演
映画「赤い橋の下のぬるい水」出演
『日本に来た外国詩…。』
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52歳 |
2002 |
平成14 |
NHK BSの「世界・わが心の旅 ドイツ 僕と生きてきた詩」に出演、ナレーションは柄本明。
高田渡の仕事
TV「世界・わが心の旅 ドイツ 僕と生きてきた詩」出演 |
53歳 |
2003 |
平成15 |
前作「タカダワタル的」の撮影が開始され、半年に及ぶ撮影が自宅での泊まり込み(宴会!?)からスタート。 |
54歳 |
2004 |
平成16 |
前作「タカダワタル的」が公開され、「フォーク大學」と称し連日ミニコンサートが一ヶ月間映画館で行われた。武蔵野の自宅から新宿の映画館まで毎夜のごとく足を運ぶ。また映画の舞台挨拶を兼ね全国十四都道府県を訪れた。
高田渡の仕事
『タカダワタル的』アルバムリリース
『高田渡トリビュート』アルバムリリース
映画「タカダワタル的」公開
映画「フリック」出演と主題歌を担当
『タカダワタル的』
『高田渡トリビュート』
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55歳 |
2005 |
平成17 |
四月三日、渋谷毅と片山広明の三人で出演した北海道白糠町社会福祉センターの公演後体調を崩し、四月十六日帰らぬ人となる。四月十八日に吉祥寺の教会で行われた告別ミサには古くからの友人ら多くの人々が訪れ、別れを偲んだ。 |
56歳 |
2006 |
平成18 |
生前なじみの深かった<吉祥寺・いせや>本店が老朽化のため改築を余儀なくされ、一時閉店。
高田渡の仕事
『27/03/03』(高田渡/高田漣)アルバムリリース
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2007 |
平成19 |
本作「タカダワタル的ゼロ」の製作過程で探し求めていた「吉祥寺発赤い電車」(七二年製作)の一部が三十五年ぶりに発見。 |
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2008 |
平成20 |
映画「タカダワタル的ゼロ」公開!
高田渡の仕事
ニューアルバム『高田渡、旅の記録 上巻』リリース!
『高田渡、旅の記録 上巻』
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